弘明寺の縁起

養老5年(721)、インドの善無畏三蔵法師が渡来し仏教宣布の為全国巡錫の際、当山の霊域を感得し、7つの盤石を 据え結界し開山したと伝えられる。
 天平9年(737)天下に悪病が流行した際、行基菩薩が当山に草庵を作り、一刀三礼(一刀彫る毎に三度礼拝する)の祈念をこめて本尊十一面観世音菩薩を彫刻奉安した。
 吾妻鏡によると、治承5年(1181)、源頼朝が当山を源家累代の祈願寺と定めたと記されている。また、当時は求明寺と称していたが、後に観音経偈文の弘誓深如海より弘の寺を引用し現在の弘明寺と改称された。
 室町時代から江戸時代にかけては、幕府より寺領や制札、朱印状う賜り天下安泰の祈願寺として篤く保護を受けた。
 現在の本堂は明和3年(1766)に智光上人が建立したものである。
明治に入ると幕府の擁護を強く受けていた為、廃物毀釈の大弾圧を被り一時的無住職となるなど什宝も散失する悲惨な状態となったが、明治34年渡辺寛玉和尚が入山し、近隣有志の協力を得て、復興計画を進めおおよそ現在の伽藍の様相となる。

十一面観音

国指定 大正4年8月10日国宝 
 昭和25年8月29日重要文化財
伝行基菩薩作(670〜749)。彫刻用語「ナタ彫り」と云って、丸ノミの跡を示した特異な横彫像。高さ5尺9寸6分、台座共6尺2寸、ハルニレの木の一木造
 駐 近年迄、ケヤキ一木造と伝承されていたが、昭和39年、虫害予防の為、京都文化財保護研究所で修理の際、関東地方特産のカタ木、ハルニレの木であると決定した。

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