

【七観音の起源】
七観音のル−ツを辿ると、平安時代10世紀の藤原時代、天台宗によって成立した六観音信仰に起因します。当時、律令国家、貴族社会の脱落に伴い、来世的な救済を求める阿弥陀如来の浄土信仰が起こってきました。それまでの現世利益中心の観音信仰から六道抜苦の来世的信仰に変化していったのです。
ところで、この六観音の「六」という数字はさらに遡ること六世紀、中国の天台宗の高僧、智が書いた『摩訶止観』に説かれる六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)からとられたもので、煩悩を破砕して、輪廻から抜け出させてくれる六つの観音(大悲・大慈・獅子無畏・大光普照・天人丈夫・大梵深遠)としてまとめられていました。これが次第に現在の聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・不空羂索観音に置きかえられていったのです。
一方天台宗に対してさらに現世利益を中心に説く真言宗はこれに対応して、不空羂索観音に変わって准提観音を置いて六観音としました。
その後、この天台、真言の六観音は現世利益的な面を求める貴族や民衆にも親しまれるようになり、やがて11世紀〜12世紀にかけて統合して、七観音として信仰されるようになりました。そして更に時代が下ると、京都の洛陽七観音霊場、最近では仙台七観音霊場、奥三河七観音霊場等のように七躰が別々に存在するのではなく、観音を本尊とする7つの寺院がまとまったということで、七観音霊場と云われるようになりました。
【七観音霊場会】
この度平成15年10月1日発会した当七観音霊場は、平安の原点に返り、七躰それぞれ別々の変化観音を本尊とする寺院、7ケ寺だけで結集された霊場であります。
33観音霊場他、観世音菩薩に因む霊場は、我が国にも数百という規模で点在しますが、このように別々の七躰の変化観音だけで構成されている観音霊場は、全く希な霊場であります。東京・神奈川・埼玉の首都近郊の古刹7ケ寺によって構成されており、京浜急行線、西武鉄道、東武鉄道を利用すると関東地方各地からは2日間でゆっくり巡拝できます。
IT始め、各種未曾有な成長をみせる昨今の物質文明社会。テロ・戦争等世界的な平和への願い。当七観音霊場会は現世の利益、心の成長と安寧を願うとともに、日々の生活の中に、観世音菩薩との出会い、観世音菩薩と二人連れの人生を心よりお勧めいたします。